2018 東京学芸大学 E類教育支援専攻 表現教育コース 小論文 模範解答
2018 東京学芸大学 E類教育支援専攻 表現教育コース 小論文 模範解答
問1
芸術や文学作品をあるがままに鑑賞者が受け止めることはできない。なぜなら、芸術は、人間的営為によるものという意味であり、人間世界という自然を変形し、ディフォルメして描くからだ。同様に、読むことにおいても、作品をあるがままに読むことはできない。なぜなら、客としての作品を読み手である主人が迎え入れるには、作品を受け入れるための用意や作品との対話が必要となるからだ。その結果、同じ作品でも読者の対話の仕方や受け入れ方が違うため、作品の解釈が人によって異なることになる。これまで、読者は自らを客である作品を迎え入れる主人と考えることがなかった。文学の理解において多くの混乱が起こっているのは、読者が作品を迎え入れる主人としての自己を否定しているからである。(324字)
問2
課題文では、鑑賞者が芸術や文学作品をあるがままに受け止めることはできないと説明されている。さらに、同じ作品でも、読者の持つ作品を理解するための知識や受け入れ方が違うため、作品の解釈が人によって異なると指摘されている。芸術作品において、作者は作品を意図や目的をもって制作する。しかし、その作品の受け止め方や理解の度合いは鑑賞者に委ねられるため、原理的に「作者の意図」と「鑑賞者の解釈」とは合致しないことになる。なぜなら、作品をとおした作者の意図は「あるがまま」に伝わることがない一方で、各々の鑑賞者に固有の作品理解や解釈がそのつど成立する構造があるからだ。したがって、「作者の意図」と「鑑賞者の解釈」との関係について、両者には以上のようなずれが生じる構造を見出すことができるだろう。
それでは、芸術作品における「作者の意図」と「鑑賞者の解釈」とはどのような関係にあるべきだろうか。「作者の意図」と「鑑賞者の解釈」とが合致しないことは、作者と鑑賞者がともに主体的かつ能動的に芸術作品に向き合う可能性を生むと考える。なぜなら、両者の関係は芸術における創造的活動を共に担う点を共有していると考えるからだ。作者は、作品の制作という主体的行為をとおして、自らの意図に沿って自由に作品に向き合う。そして、新たな世界把握の可能性を提示する。他方で、鑑賞者は作品に対して自らの知識や経験、観点にもとづいた固有の解釈を持つ自由を有するため、作品に対して能動的かつ主体的な鑑賞を行い、新しい解釈を生み出すことが可能となる。したがって、作品と鑑賞者が各々の立場から、作品をとおして創造的な活動を行うことができると考える。
以上より、「作者の意図」と「鑑賞者の解釈」の関係は、両者が芸術における創造的活動を担う点を共有しており、意図と解釈のずれこそがさらに新たな芸術を生み出す可能性を有していると考える。(787字)
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