2022年度 東京学芸大学 A類 初等教育専攻 国語コース・B類 中等教育専攻 国語コース 学校推薦型選抜 小論文 模範解答

2022年度 東京学芸大学 A類 初等教育専攻 国語コース・B類 中等教育専攻 国語コース 学校推薦型選抜 小論文 模範解答
問1
多文化共生社会は、文化や宗教といった背景の異なる人間たちによって構成される。背景が異なれば、ものの見方や感じ方もまた多様である。成熟型の社会では、多様性が社会の持続可能性を約束すると理解されているので、さまざまな感じ方が無理に狭い範囲に強制されないし、そうした感性を表出することも自由である。しかしそうである以上、成熟型の多文化共生社会では、さまざまな意見がまとまりを欠いた状態になりやすい。そればかりか、そうした状態は容易に意見対立を招くだろう。筆者はそれを「みんなちがって、たいへんだ」と表現している。しかし、多様な意見をひとつに強制したとしたら、その社会は共生社会ではなくなる。だからこそ、多文化共生社会では、文化を超えて、さまざまな意見をうまくまとめる調整能力が要求されている。こうして、「異文化理解能力」とは、多くの人間同士の関係を取りもちつつ、合意を形成する能力と解されている。(395 字)
問2
筆者は「主体的に演じる子どもたちを作ろう」と提案している。そもそも「本当の自分」などないのだから、子どもにたいして、演じるのを止めて本当の自分を見つけるようにという大人の教えは「欺瞞に過ぎない」とされる。だとすれば、子どもに本当の自分探しをさせることは、幻想を追い求めるよう仕向けることであり、結局子どもにとってはどこまでも「本当の自分は、こんなじゃない」という不足感が掻き立てられてしまう。筆者からすれば、この不足感は大人が仕向ける不可能な自分探しの産物であろう。とはいえ、この考え方には「本当の自分」など存在しないという前提がある。そうだろうか。
私は「演じる」ことを子どもに勧めない。というのも、私は他者との関係が「演じる」ことには尽きないと考えるからである。たとえば、ある児童が教室で優等生という役割を演じるとしても、その全人格はこの役割に還元されない。たとえすべての役割を列挙できたとしても、かならず人格には役割の総体を超えた剰余分があるだろう。
「演じる」という語には意図的な行為という含意があるように思われる。じっさい筆者も「主体的に演じる」と述べている。しかし、たとえば子ども時代の真の友人関係とはそうした作為的な関係だろうか。たしかに、結果として、友人関係でも何らかの役割が演じられていると説明されるかもしれない。しかし、そうした打算を排したところに友情の本質があるように思われる。「あいつ」となら作為や打算なしに自然体でいられる。私はそこに「本当の自分」の存在を認めたい。だからといって「本当の自分」が初めから存在しているわけではない。友人関係において「本当の自分」が浮上するのである。だから私は、教育において、「本当の自分」は存在するという立場から、「演じる」という意識が生まれる以前の人間関係を大切にするように子どもに伝えたい。
(774 字/400 字詰め原稿用紙2 枚に収まることを確認済み)
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